ダメな部分は活かされる
体だけでなく、心にも弱い部分と強い部分があります。
私の場合だと、せっかちでワガママですので辛抱することが非常に弱いです。
昔から、そういう自分に疲れることもありました。
周りをみて凄いな。。。と思うことも多々ありました。
逆に自分を信じる力は強いと思います。
ワガママを通そうとすると自分を信じるしかないからだと思います。
また、自由に育ててもらえたので、それも影響しているのかなと思います。
振り返って分かることなのですが、この短所いうべきワガママや辛抱弱さが娘が難病になった時には活かされていたのです。
「治らない、寝たきりになる」という言葉を受け入れられるほど聞き分けの良い人ではないからです。
ワガママですから「嫌なものはイヤ!」それしかなかったです。
家族が医師の言葉を受け入れていく中で、自分だけは受け入れる気持ちはありませんでした。
また、寝たきりになる姿を見るに耐えない自分が想像できたのだと思います。
とうてい我慢できずに潰れる自分を感じていたからだと思います。
「何とかするしかない。。」と思わせてくれたのは、自分の弱さからなのです。
ですので、知識も経験もないにも関わらず「治す」と強く思えたのは、強い人間だからではないということです。
相談者から「娘さんへの愛情と強い気持ちが病気を治したんでしょうね」と言われる方もいます。
そう言われると悪い気はしませんが、それは本当に全く違うのです。]
「寝たきりになるなら、自分が長生きして面倒を見続ける」と腹をくくった嫁の方が相当つよいです。
自分にはそんなことが出来るわけもなく、考えもしない言葉です。
毎日、娘と一緒に学校へ通い、授業中は教室の後ろで見守り、遠足や行事ごとは全て参加し続けた嫁の強さは私にはありません。
遠足や林間合宿、学校の廊下の壁に貼られた写真には、嫁が笑顔でたくさん写ってました。
腹をくくった強さがあるから、一緒に行って笑えるんです。
娘が難病である現実を受け止めることは出来ても、嫁のように受け入れる強さはなかったです。
ですので「治す」って思わせてくれたキッカケは、自分の短所である弱い部分なのです。
そして、ワガママゆえに自分を信じる気持ちが更に増し、後押していったのです。
娘への愛情の強さではなく、医師の言葉通りになることが怖くて耐えれなかった。
自分を保つために必死だった。
これが本当の姿です。
相談者から「こんなダメダメは私ですが、大丈夫ですかね。。。」って聞かれることがあります。
「ダメだからいいこともあるんです」っていつも思います。
強くないから目をつむって走れる、目をつむって走ったからゴールできることもあるんです。
目を開けると躊躇してしまう場面でも、つむっているから走り続けられるんです。
そして、目をつむって走り続けるには、自分を強く信じるしかないんです。
難病を克服しようと思うと、その自分を信じる力が必要となってくるのです。
このように誰でも体と同じように心にも弱い部分と強い部分があり、どちらも生きていく上で活かされます。
ですので、ダメだと思う部分は生きていく上で裏方役ですが、非常に大切な部分だということです。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
自分自身のどんな部分も活かされるべき時には活かされて
それを理解し実感することが、自分の全てを受け入れるってことなんだと思います。
自己評価の人は、ダメだと思う部分が活かされていることに気づいてないだけなのかもしれません。
「このままではダメだ」と思う必要がないことに気づくと「このままでいい」と思えるようになります。
そしてそこから「このままがいい」と思えた時に「本当の自分を受け入れた」ということになるんしょうね。
難病克服支援センター
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