主治医になる、そんな気持ちにさせてくれたのは
何の知識も学歴もない親が、娘が難病になって「自分が主治医になる」って気持ちになることは珍しいことだと思います。
では、なぜそんな気持ちになれたのか、いま思い返すと
それは当時の主治医が「医学では何も出来ない」と言って見放してくれたからです。
「病院へ来ても来なくてもいい、検査くらいしかできないから」と言ってくれたからだと思います。
中途半端に期待を持たせるのではなく、完全に突き放してくれらから「なら自分でなんとかするしかない」そう思えたのです。
更に「5年後には寝たきり、寿命も20歳くらいで思っておいてください」なんて残酷とも言える言葉を投げてくれたから「そんなの受け入れるわけにいかない、絶対にそうさせない」と思えたのです。
もし、気休め、その場しのぎの治療を提案されていたら、藁をもすがる気持ちで医療に頼ってしまったと思います。
「自分がなんとかしよう」なんて思わなかったでしょう。
大半の病気は、病院へ行けば主治医がつきます。
そして、気休めであろうが、その場しのぎであろうが、薬を出してくれたり治療をしてくれたりします。
しかし、娘にはそれさえもない、誰も娘の体を考えてくれる専門家がいないというのが現実でした。
なら「自分が主治医になってあげたい、病気や体のことは分からないけど、娘の体のことは一番に知っている人でありたい」
そういう気持ちから「自分が主治医になる」と決めたのです。
その後、様々なことを試した結果、娘は4年という期間をかけて体は正常化していき、その「体の変化や現象」「壊れていく体と再生していく体」を私に見せてくれました。
それと同時に「人はなぜ発病するの」そして「体にとって食べ物とは」など、いろんな事に気づかせてくれました。
病気のことや体のこと、まして医療のことなど何も知らなかった私に、それら全てのことを身をもって教えてくれたのです。
病気について誰にも診てもらえない娘に対し「せめて自分が主治医になってあげたい」そんなつもりで始めた闘病生活でした。
しかし、そんな意気込みだけで何の知識もない私を主治医のような存在にしてくれたのは、娘であり娘の体だったのです。
ですので、完全に見放してくれた医療に対して、今では感謝しています。
それがなければ今の娘の姿も、今の自分もないと断言できるからです。
逃げ道を防いでくれたからこそ、自分なりの道を作っていけたのだと思います。
当時は、そう思えなかったことも、未来の結果から振り返ると有難い出来事がたくさんあります。
それら一つ一つが回復への道を進ませてくれて、元気な娘の姿へとゴールできたのだと思います。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
頭が良いから難病を治せるのではありません。
凄い人だから克服できるのではないのです。
極々普通の、どちらかと言えば出来の悪い私のような人でも
難病は治せるんだ
難病は克服できるんだ
知識や経験が病気を治すのではなく、もっともっと大切なことがあるんだ
それは、特別な人でなくても気づけることなんだ
ということを伝えていくためにも、その実例を一つでも多く作っていければと思います。
難病回復事例
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