娘の就活に思うこと
難病だった娘(次女)は、もうすぐ大学四回生。
今年に入って本格的に就職活動、そんな姿を見るのも慣れてきました。
インターンに参加したり、オンライン面接だったり、対面での面接だったり
一次面接「係長突破!」
二次面接「部長突破!」
そんな姿をみていると、「ホントに就職する気なんだ。。。」と
大学を出て就職するのは、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。
自力で立てなかった小学生時代、車椅子での低学年、何とか歩けるように回復した高学年
少し歩いては、パタパタ転んで、ずっと膝には傷があったわけですよ。
風邪をひいては肺炎になり、一冬に2回入院という時もありました。
中学生の運動会では、みんなのコースとは違い、ショートカットコースで参加した徒競走、それでも走れている姿に感動したのを覚えています。
みんなと一緒に歩いて登校できるようになったのも中学生でした。
高校生になると毎年、夏休みには旅行に誘ってくれて、湘南、横浜、鎌倉あたりを3年連続、2人で旅行しました。
レンタカー借りたり、ペンションに泊まったり、ライブ(音魂)、鎌倉、忘れない思いでがたくさんあります。
高校生の娘が父親を旅行に誘うという、世間とはかけ離れた異例な出来事も、難病だった頃の友達のような親子関係があったからだと思います。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
「なんで、父さんと2人で旅行なん?」と旅行中に聞くと、返ってきたのが「気を使わなくてもいいから、素でいられるから楽」でした。
闘病生活を乗り越えた娘にとって、そういう存在でいられたことを実感し、ホントに嬉しかったです。
その言葉を聞いたのが江ノ電に乗車中で、その言葉をいつでも思い出せるようにと、その時の切符を今でも財布に入れています。
そんな娘が大学生になり、少しずつお互いが、親離れ、子離れをしていきました。
お互いが歩調を合わせるように、恐る恐る離れていく、これまた世間とはかけ離れた感覚なんだと思います。
普通に歩けて、普通に走れる、そして何不自由なく普通に過ごせる娘が90分かけて大学へ通い、いま就職活動しているわけです。
そして、おそらく来年は社会人となり会社へ向かう姿をみることになるのでしょう。
何も自分で出来なかった小学生時代、何とか自力で通えた中学生、元気いっぱいの高校生、そして普通の大学生。
そして来年は社会人に。
「5年で寝たきり、寿命は20歳まで」と言われたところから始まって、みんなが普通に出来ることが出来なかったにもかかわらず
腐ることなく、諦めずに、前だけをしっかりと見据えて、よくもまぁ見事に追いつきましたね。
あっぱれ娘です。
難病克服支援センター
https://www.facebook.com/nks.center/posts/2613357658797063
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彦根市の漆芸家、坂根龍我さんの作品などは waca-jhi's diary
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