ほうろく屋 杉崎さんのお話 : 第2話 菜種油の修行と発見
ほうろく屋杉崎さんのお話です♪
【第2話 菜種油の修行と発見】
先代、大嶽製油所(大嶽喜八郎)は愛知県西尾市東幡豆町。三河湾を望む海沿いの町に昭和24年創業した。
夫婦2人の二人三脚、小さな町工場。
昭和30年代当時、愛知県内にも小さな町工場が30件ほどあった。
しかし、時代は高度経済成長期を迎え、小さな製油所は大手企業にのみこまれていった。
その結果、貴重で高価だった国産原料の圧搾菜種油は減少し、輸入原料で薬品抽出された大量生産、大量消費が可能な安価な油に市場の大半を奪われた。
大量生産時代の流れを受けて殆どの企業が薬品抽出法に切り変わっていく中、大嶽製油所は、その技術を守り地域の油屋であり続け、生き残ったのである。
そこへ僕は修行に入る。
小さな工房、布ベルト式の駆動機械、薪での焙煎釜、香ばしい菜種油の香り、言葉にできないワクワク感。
当時、先代 喜八郎は80歳を超えていた。
まず薪割り、原料菜種選別、作業補助。力仕事を手伝い見て覚える。
各工程、手作業による仕事。身体は辛いが小さな工房の中で単純に食用油はできる。油の良し悪しは焙煎が命。これで決まる。
夏場、釜場は室温40℃を超える。
暑ければ暑いほど、良い油がたくさん出ると喜八郎は言う。
原料と向き合い、目で見て、手で握り、鼻で嗅ぎ、口で味をみる。
この職人の後ろ姿、全て個人の感で生まれる仕事にはまっていった。
また、お昼になると必ず先代妻、たけ子がまかないご飯を作ってくれる。
今でも忘れない。最初の昼食『鶏の唐揚げ』。
カリカリ、サクサク、ジューシー。いくらでも腹に入っていく。
とても驚いた。力仕事のため腹が減って美味いのか?
毎回、出る料理がとにかく美味い。僕の母親の料理が下手なの?
『いや、この菜種油が美味いのだ』
正直、驚きと感動が体の中を走った。
僕は、ここでこの菜種油を世の中に出したいと使命感が生まれるのである。
そして喜八郎に聞いたことがある。
『どうして80歳を過ぎるまで、こんなに過酷な仕事を続けてきたの?』
先代は言った。
『まだ今だに菜種を作る近所の農家の衆たちが、スーパーで売られている薬品抽出のサラダ油で料理を作っても喉を通らん。体調の良い時でいいから油を搾ってほしい。と、おだてられてここまで来れた』、と。
写真は先代の工場登録証明書
当時は農林大臣許可になっています。
ほうろく屋では
昔ながらの手作業にこだわった圧搾法で菜種油、油かすを製造しております。
二代目ほうろく屋 杉崎 学
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純粋菜種焙煎工房 ほうろく屋
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次回、第3話 『喜八郎との約束と独り立ち』です^ ^
a seed プロデューサー 現代自然派調理研究家 Jeff
元々臨床検査会社に勤めていた所から健康的な食事に
興味を持ち、現在は静岡県焼津市の会員制レストランで
食事と健康についての研究や料理プロデュースをやらせて頂いております。
https://www.facebook.com/jeffrielau
過去記事は目次代わりにpinterestに貼ってありますので、いつでもご覧ください。
彦根市の坂根龍我さんの漆作品などの一望は waca-jhi's diary 。