原石
娘の病気が分かったのは16年前、娘が6歳の時です。
当時、6年生まで通うことは出来ないと言われて小学校へ入学しました。
「いつまで通えるか分からない、通える間だけでも他の子たちと同じことをさせてあげたい」
そんな思いを学校側に伝えて、入学式をむかえました。
授業中、椅子に座っていることさえ大変だったと思います。
体育は見学、給食当番も回ってきません、移動は車いすでした。
それでもみんなと一緒に授業を受けて、給食食べて、それだけでもさせてあげたい
そんな思いでいっぱいでした。
進行していく体を食い止めて、もっともっとみんなと同じことをさせてあげたい
そんな風に思って、食事やデトックス、いろんなことを続けました。
努力の甲斐あって、検査数値は良くなっていき5年生では走れるようになりました。
その後も出来なかったいろんな事がみんなと同じように出来るようになっていきました。
医師から寝たきりになると言われた5年後に娘は病気に打ち克ち、死への恐怖から逃れることが出来ました。
そんな頃から10年が経ち、今年に入って本格的に就職活動をしている娘の姿がありました。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
給食当番も体育の授業も、自力て立ったり走ったり、みんなと同じことが何も出来なかった娘が今は、何不自由なく社会へ出ようとしています。
そして、企業から内定をいただき来年から社会人となることが決まりました。
特別な経験をして娘は大人になりました。
内定をいただいた企業は、そんな原石の小さな輝きを見つけてくれたのです。
その原石を社会に出て自分で磨き続けて欲しいです。
特別な経験をしたからこそ、誰にも放つことが出来ない輝きになると信じ続けて欲しいです。
磨き続ければ、きっと自分らしい色と輝きが見つけられると思います。
娘の回復までの変化(症状と検査数値)
過去記事は目次代わりにpinterestに貼ってありますので、いつでもご覧ください。
彦根市の漆芸家、坂根龍我さんの作品などは waca-jhi's diary
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