常識や思い込みと疑う目
20年前、私は難病とは無縁に生きていました。
難病が治るとか、治らないとか考えたこともありませんでした。
しかし、13年前に娘が難病となり、それがキッカケで体のことや食べ物のこと、心と体の関係など
いろんなことを学び、多くのことに気づくことが出来ました。
また、娘が難病を克服したことで「難病って治るんだ」と自然に思うことが出来ました。
このように20年前の自分の常識や思い込みは、娘が治った9年前に変化しました。
新たな常識や思い込みが生まれたのです。
それ以降、娘だけでなく多くの相談者が難病を克服していく姿をみてきました。
すると、娘が治った9年前より、更に常識や思い込みは強くなっていきました。
常識や思い込みの色が上塗りされていったのです。
誰でも今まで学んだり聞いたりしてきたもので、常識や思い込みは作られています。
そしてそれらは、見たものや経験したこと、実感したことで変化していくのです。
医師から「治らない病気です。一生薬は手放せませんよ」って言われた人は
「自分は治らない病気なんだ、ずっと薬を飲み続けないといけないんだ」という常識や思い込みが生まれます。
しかし、自分と同じ病気が治った人がいることを知ると常識も思い込みも変化し始めます。
そして、治った人に会うことで、更に常識や思い込みは大きく変化するのです。
難病克復ガールズの活動の意味は、そこにあるのだと思います。
今までの常識や思い込みを変えて、未来への可能性を広げる、そんな役割なのだと思います。
私が難病相談をボランティアで行っていた時に、横に娘を座らせていたのも
今までの常識や思い込みを変えるキッカケになればと思ったからです。
私の言葉より、元気な娘の姿の方が今までの常識や思い込みを変えてくれるからです。
常識や思い込みが変わらないと行動も変わりませんし、可能性も広がりません。
真実は、人の言葉でなく自分で実感するしか見えてこないのです。
私のように最初から医師の言葉を受け入れない人は少ないと思います。
それは、そうなる育てられ方をしてきたから、医師の言葉を聞きつつも受け入れなかったのだと感じます。
幼い頃を振り返るとそのことに気づき、今更ながら早くに亡くなった母を特別に想います。
しかし、大半の人は学んだことや聞いたこと、周りの人の行動や状況によって常識を持ち、思い込んで過ごしています。
何が正しいとか間違っているかという話ではなく、いま思い込んでいる常識が正しいとは限らないということです。
今の私の中にも間違った常識や思い込みがたくさんあると思います。
ただ、それを疑う目は常に持っていたいです。
そうすることで、何かをキッカケに本当のことが見えてくると思うからです。
自分の可能性を高めるためにも、生きる幅を広げるためにも
自分の持つ常識や思い込みを大切にしながら疑う目を常に持って生きたいです。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
いま、自分の常識や思い込みに納得がいかず苦しんでいる方は、まずは疑ってみることが大切かなと思います。
・自分の病気は難病だから治らない
・学校へは必ず行かなければいけない
・自分は社会不適合だから、どこにも居場所はない
・心配や迷惑をかけてはいけない
・弱音を吐いてはいけない
・お金がないから幸せになれない
・不景気だからお金は入ってこない
いろんな情報や周りの目や空気が作り上げた思い込みなら
疑うことから、別の道がみていくることもあると思います。
今の常識や思い込みの中で苦しみながら生きていくなら
常識や思い込みを変えることで楽に生きていくことも出来るかもしれないし
「本当にそうなのか?」って疑うことで、未来への可能性を広げることも出来ると思います。
何を信じて生きるかは、それぞれの生き方の問題ですが
何を信じて生きるにしても、明るい未来をイメージできることが最低条件です。
そうでないものを信じて生きても、今の苦しい現実や明るい先も見えてこないなら
まずは疑ってみることから始めて欲しいと思います。
過去記事は目次代わりにpinterestに貼ってありますので、いつでもご覧ください。
彦根市の漆芸家、坂根龍我さんの作品などは waca-jhi's diary
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