waca-jhiのブログ

《食⇔健康をもっと知ろう》

難病って治らないから難病なんでしょ?

私の娘が難病宣告された時、家族の中で私以外は「治らない病気」という医師の言葉を受け入れていました。
「医師が言うのだから治らない、受け入れるしかない」そう思うのも当然かもしれません。
また、同じようにそう思って闘病されている方やご家族が圧倒的に多いと感じます。
しかし、私の娘は4年で完治しました。
いったんは車椅子になりましたが、時間を逆戻りするかのように立てるように、歩けるように、走れるようになっていき、検査しても全く異常はなくなりました。
その時から10年が経ち、現在は元気に大学へ通っています。
10年間、毎年検査には行っていますが、もちろん異常はなく、何の不自由もなく過ごしています。
誰が見ても、小学生だった頃に車椅子に乗っていたとは思わない、そんな大学生です。
「難病って治らないから難病なんでしょ?」
私の娘は治りました。

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「治らない病気、5年後に寝たきりになる」と言われましたが、その医師の言葉通りにはなりませんでした。

ならなかったというより、変えることを必死で考え実行し、未来を変えたと思っています。
ありとあらゆる本を読み、なぜ50年前から難病患者、癌患者、アレルギー疾患が急増しているに気づき、それらを正していくことで少しずつ娘の体を正常化させたのです。
その経験から、治らないと思って諦めている人が多いと感じ、娘が完治した後、5年間はボランティアで難病相談を受けることにしました。
その間に、多発性硬化症だった19歳の女の子が完治し、今では25歳になり学校職員として働いています。
抗SRP陽性ミオパチーの小学生の女の子も完治し、元気に高校生へ通っています。
視神経脊髄炎の主婦も2年を経た断薬し完治、2度もフルマラソンを完走されています。
みなさん、医師から治らないと言われた難病の方々でした。
難病克服支援センターを立ち上げようと思ったキッカケは娘の完治であり、それに続く相談者さん達の回復と完治でした。
私が思う、治った方々の共通点は「難病だって治る可能性があるんじゃないの?」と思ったことです。
「医師の言うことだけが全てでない」そう思ったところから、治る可能性が広がったのだと思います。
この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
そういう気持ちになれる人が少しでも増えて欲しい、そのことが難病克服者を増やすための一番の近道だと思っています。
その為には、治りたい人をサポートし、治った人をたくさん増やすこと、その事実を闘病中の人に知ってもらうこと。
インターネットやSNSの時代だからこそ、その事実さえあれば、そのことを多くの方々に知ってもらえると考えました。
「難病だって治る可能性があるんじゃないの?」と思っていた人が
「難病だって治った人がいるんだ。。。 私も治るかも」って思えることが、1人でも多くの難病克服に繋がると思っているからです。
娘との闘病は生きた心地がしないほど苦しく、前を向いて生きることが精一杯な4年間でした。
そんな4年間をプラスに変えるにも、同じ苦しみを抱えている人を笑顔にしていきたいです。
みなさんの回復事例
 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

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過去記事は目次代わりにpinterestに貼ってありますので、いつでもご覧ください。

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