決意 < 覚悟 < 開き直り
娘の難病が分かり「治らない、寝たきりになる」との宣告を受けた時
「治してくれないなら自分で何とかするしかない」そう決意しました。
にもかかわらず、何を実践しても娘の病状は悪化し、立てない、手が上がらない、そして痩せ細っていきました。
そして、ついに車椅子になってしまった時「絶対に諦めない、前に進み続ける」そう思う自分の裏側には、覚悟を決めた自分がいました。
どちらの結果も受け入れる覚悟をしたことで、少し気持ちが楽になり強くなれた自分がいました。
一緒に生きた思い出をたくさん残そう、そんな日々の中で希望を絶やさずに治ることを信じて続けました。
覚悟したことで前に進み続けられた、それがなければ投げやりになっていた、そのように思います。
しかし、その後に娘の背骨はS字に曲がり側弯症との診断。
「もう、そこまできたか。。。」と大きく落胆し、無力さを痛感しました。
想いや努力、強い願いや希望、それらを簡単に打ち砕くような結果に呆れ果て、全ての力が抜けた時には開き直れた自分がいました。
そんな自分が気づいたことは「まだ、何も失っていない、娘もいる、何一つ失ってはいない」ということでした。
息が出来ないくらい追い詰められていたのは、今の現状ではなかった、未来への不安や恐怖に対してだった、ということです。
先を想像し、不安や恐怖で頭がいっぱいになり絶望的な気持ちになっているだけだった。
不自由な体とは裏腹に、娘は笑って今を過ごしている。
そう思えた時に「なら逆に、これから先の未来に何があっても笑っていよう。大事な何かを失ったとしても未来への不安や恐怖には負けずにいよう」そう思えたのです。
「未来への不安や恐怖に負けない、それを恐れる日々が一番に辛い、そんな日々を送ることが不幸だ、どんな時も笑うことさえ忘れなければそれでいい」
そんな風にまた強くなれました。
これが私が経験した 決意 < 覚悟 < 開き直り です。
今思い返すと、同時進行で娘にも 決意 < 覚悟 < 開き直り があったように思います。
彼女が書いた卒業文集に「家族に支えられているから今、私は生きています」というフレーズがあります。
本来は、生きていることが当たり前の6年生です。
しかし娘はそう感じていませんでした。
笑顔の裏側には、決意と覚悟、開き直り、彼女にもそんな心の葛藤と流れがあったのだと思います。
そんな時期から13年が経ち、寿命だと言われた20歳に娘はなります。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
難病を克服し、何の不自由もない体へと戻り、あれほど苦しかった当時の不安や恐怖は、頭の中だけの出来事で終わったのです。
「開き直る」って何となくマイナスイメージがありますが、こんなにも強く前向きな言葉なのです。
「泣いても嘆いても愚痴ってもいいから、諦めずに前に進んで欲しい、未来への不安や恐怖には負けないで欲しい、敵は病気ではないよ!不安で恐怖に怯えている自分の心、自分に負けたらアカン、自分に負けて諦めそうなくらい苦しいなら開き直ったらええねん!」
相談者からSOSの電話が入った時には、そんな気持ちで「開き直ったらええねん」と伝えています。
当時の自分と重なって、自然と出てしまう言葉です。
難病克服支援センター
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