難病を克服した人が優先し続けたこと
物事に直面した時に、頭は真っ先に「出来るか、出来ないか」を判断すると言われています。
いろんな経験をし、無駄なく、無理なく、リスクなく、苦労なく生きていくために重要だからです。
頭が「出来るか、出来ないか」を見極めることがスムーズに生きていくためには必要な能力だということです。
しかし、心は「したいか、したくないか」の感情を湧き上がらせます。
頭の「出来るか、出来ないか」
心の「したいか、したくないか」
みんな、そのバランスで物事を決めているのです。
高校や大学を選ぶ時も「受かるか、受からないか」「行きたいか、行きたくないか」
それで学校を選びますよね。
新しいことにチャレンジする時も「出来るか、出来ないか」「したいか、したくないか」でチャレンジするかどうかを決めています。
頭の判断と、心の感情
どちらを優先するかで、未来への選択が大きく変わるということです。
医師という医学の専門家から
「治らない病気です」と言われたら
専門家ではない一般人なら、「治りたい」と思っても「治せない」と判断するでしょう。
日本の大学病院の医師が「治らない」と言っているのですから、頭はとうぜん「治らない、治せない、治すなんて出来ない」
そう判断するのが当然だと思います。
しかし、心は「治りたい、治したい、元気な体に戻りたい」と思うのも当然ですよね。
今から15年前、私にもその時がありました。
娘の病気が「治らない、5年後に寝たきり、寿命は20歳まで」と医師から言われたからです。
そこから15年が経ち、20歳になった娘は元気に大学生をしています。
寝たきりになると言われた10歳で難病を克服し、その後は元気な姿で過ごしているのです。
頭の判断を優先するか、心の感情を優先するか、それによって、その先の未来が変わることを私は娘との闘病で強く感じました。
そして「娘を治したい、治って欲しい」という感情を優先して、本当に良かったと思いました。
頭は「娘は治らないんだ、寝たきりになるんだ、そういう運命なんだ」と判断していました。
神経内科の部長が深刻な顔で言うのですから、そう思わない訳がありませんよね。
しかし、どうしても心が「治したい、絶対に寝たきりにしたくない」そう訴えてきたのです。
そして、私は心の訴えを優先し「治す」と決めました。
親としての強さではなく、そう決めないと、自分の心が崩れてしまいそうだったからです。
また、娘を直視できないような気がしたからです。
お父さん子だった娘と今まで通りの親子でいる為には、頭より心を優先せざるを得なかったのかもしれません。
「治す」決めたものの、その葛藤は娘が治るでの期間は続きましたし、時おり心が折れそうにもなりました。
だから、私と同じように心を優先する人の支えになりたい、応援したい、一緒に叶えたい、そう思うようになったのです。
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。
病気との向き合い方や、生き方、何を優先するかは人によって違いますし、何が正しいということではありません。
「心を優先しなさい」なんて言うつもりはありませんし、それが正しいかどうかも人によって、価値観によって違うでしょう。
しかし、娘だけでなく治った人に共通することは
「頭での判断より、心の感情を優先し続けたこと」
この事は間違いないと思います。
そして、そういう人がたくさんいる事を知って欲しいと思います。
難病克服ストーリー
過去記事は目次代わりにpinterestに貼ってありますので、いつでもご覧ください。
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